おふでさき第二号(その4)

今回は十八首目から始めます。

 

十八 なにゝても神のゆう事しかときけ やしきのそふぢでけた事なら

    何にても神の言う事しかと聞け 屋敷の掃除でけた事なら

 

十八 もふみへるよこめふるまないほどに ゆめみたよふにほこりちるぞや

    もう見える横目振る間もない程に 夢見たように埃散るぞや

 

二十 このほこりすきやかはろた事ならば あとハよろづのたすけ一ちよ

    この埃すきやか払た事ならば 後は万の助け一条

 

二一 このさきはたん〳〵つとめせきこんで よろづたすけのもよふばかりを

    この先は段々勤め急き込んで 万助けの模様ばかりを

 

二二 せかいぢうとこがあしきやいたみしよ 神のみちをせてびきしらす

    世界中何処が悪しきや痛みしよ 神の道寄せ手引き知らずに

 

二三 このよふにやまいとゆうてないほどに みのうちさハりみなしやんせよ

    この世に病と言うて無いほどに 身の内障り皆思案せよ

 

二四 にち〳〵に神のせきこみこのたすけ みな一れつハなんとをもてる

    日々に神の急き込みこの助け 皆一列は何と思てる

 

 

[十八~二四 説明と要約]


(十八~二一)

屋敷内の者は兎に角親神の言う事をしっかり聞いてもらいたい。先に言ったように屋敷の掃除が出来たならば、その後はわき目を振っている暇もない程の早さで埃が散っていく。そうなったならば、後は世界の人間を助ける事に専念出来るようになる。そこから先は急いでつとめを行うための準備を進め、世界の人間を救う事を考えて行ってくれ。

(二一~二四)

ところで世界中の人間は、何処どこが悪い、何処どこが痛い、等と言っているが、それはひとえに親神の思惑からの事である。即ち親神の道寄せ、手引きの表れであると考えて欲しい。この世には世間で言うところの病気と言った事は一切無いのであって、そのような事が見えてきたならば、それを親神の手引き(想い)と思ってくれ。

このように日々親神は世界中の人間を助けたいとその身体に印を見せているのであるが、その事を当の人間たちは何と考えているのか?

(この親神の想いを世界中の人間に分からせるよう、屋敷内の者は布教、救済に励んで欲しい。)

 

 

おふでさきは17の「号」から成っていますが、1つの号の中でも書かれた(親神様からお言葉が下った)日が異なる場合があり、後半の号ではそれがはっきりと年月日として記載されている場所があります。そのような場所ではある程度話の纏まりを理解できます。

しかし1号や2号ではそう言った日付の記載があるわけではありません。そうかといって一貫した事柄が述べられているのかと言うと、大筋では確かに一貫しているのですが、細かく内容を追っていこうとすると、ある程度の区切りを考える必要が出てきます。そうなったときに、そのお歌の主語が誰で、誰に対して向けられた言葉なのかを、個人の悟りとは別にもっと客観的に、正確に読む必要があると思います。

そうして読んでいくと、十八首目には「屋敷」と言う言葉が出ていることから、これは屋敷内、即ち教祖の傍にいる人々に対して、と読むことが出来ます。一方二一首目には「世界」とある事から、ここからは文字通り世界中の人間に対しての歌であると読み取れます。

一方何も考えずにおふでさき十八から二四首目を読むと、何か違和感を感じるのではないかと思います。つまり屋敷内の話をしていて突然外の世界の人についての話が出てくる、と言った違和感、しかしそこには繋がりがある筈で、その繋がりをどう考えるのかと言った事が、最後の()部分で補足したような事ではないかと考えます。