おふでさき第二号(その3)

今回は十三首目から始めます。

 

 

一三 はや〳〵とをもてでよふとをもへとも みちがのふてハでるにでられん

    早々と表出ようと思えども 道が無うては出るに出られん

 

一四 このみちをはやくつけよとをもへとも ほかなるとこでつけるとこなし

    この道を早く付けようと思えども 他なる所(とこ)で付ける所(とこ)なし

 

一五 このみちをしんぢつをもう事ならば むねのうちよりよろづしやんせ

    この道を真実思う事ならば 胸の内より万思案せ

 

一六 このはなしなんの事やとをもている 神のうちわけばしよせきこむ

    この話何の事やと思ている 神のうちわけ場所急き込む

 

一七 このみちが一寸みゑかけた事ならば せかいの心みないさみてる

    この道が一寸見えかけた事ならば 世界の心皆勇み出る

 

 

 

[一三~一七首 説明と要約]


(一三~一七)

親神は早々に表に出たい(教えを広めたい)と思っているが、出るための道が無くては出るに出られない。そして何処からでも良いと言う事でなく、教えの根本の場所からでなくては出られないのである。その事を皆は良く考えて欲しいのである。

これらの話がどういう事かと言えば、それは「神の打ち分け場所」を早々に作って欲しい、という事である。

こうして神の打ち分け場所から出た親神の教えにより、世界の人間が一人残らずに勇むようになるのである。

 

 

ここのお歌の要点は「神の打ち分け場所」です。屋敷は勤めをつとめ教えを広める根本の場所であるのに対して神の打ち分け場所とは、元の屋敷、すなわち「ぢば」、親神様の想いをそのまま伝える「ぢば」以外の場所に作られる元の屋敷の出張場所、と考えられます。ここで天理教事典による打ち分け場所の記載について纏めると

1,ぢばの理を打ち分ける場所

2、将来は内、中、外に各々31か所、計93か所出来る。

3,教祖は当時の霊場巡拝を例えとして出されたのではないか?

4,教祖ご在世中に打ち分け場所の名称を許された所もある。

5,現在の教会は講を出発点としているところが多い。

となっています。1については特に言う事はありません。一方2と4、5から言える事として、現在「教会」と称している建物、場所は明らかに教祖が言われた打ち分け場所とは異なると言う事です。即ち明治2年において、親神様は現在の教会とは明らかに異なる、3のような例えとして示された、巡礼場のようなものを考えていたのではないかと思われます。

天理教が全ての人間の救済を謳っているからには、打ち分け場所は日本国内のみならず海外にも存在する事は容易に想像が出来ます。親神様の、早く海外までも神名を広め、たすけの根本となる打ち分け場所の建設を行いたい、と言った想いが上の歌には含まれていると思います。