おふでさき第二号

ではおふでさき第二号について考察して行きたいと思います。おふでさき第二号はその冒頭に「明治2年3月」と書かれているとおりおふでさき第一号が書かれた2か月後に執筆されたものです。

 

ちなみに秀司先生とまつゑさんが結婚されたのは明治2年だそうですが、その正確な日付について教祖伝には記載がないため不明です。従ってこのおふでさき第二号が執筆された明治2年3月時点でお二人が結婚されていたかどうかは分かりません。

 

 

明治年三月

 

一 これからハをくハんみちをつけかける せかいの心みないさめるで

   これからは往還道を付け掛ける 世界の心皆勇めるで

 

二 上たるハ心いさんでくるほとに なんどきにくるこくけんがきた

   上たるは心勇んでくる程に 何時に来る刻限が来た

 

三 ちやつんであとかりとりてしもたなら あといでるのハよふきづとめや

   茶摘んで跡刈り取りてしもたなら 跡い出るのは陽気勤めや

 

四 このつとめとこからくるとをもうかな 上たるところいさみくるぞや

   この勤め何処から来ると思うかな 上たる所勇み来るぞや

 

五 たん〱と神のしゆごふとゆうものハ めつらし事をみなしかけるで

   段々と神の守護と言うものは 珍し事をみな仕掛けるで

 

六 にち〳〵に神の心のせきこみを みないちれつハなんとをもてる

   日々に神の心の急き込みを 皆一列は何と思てる

 

七 なにゝてもやまいいたみハさらになし 神のせきこみてびきなるそや

   何にても病痛みは更に無し 神の急き込み手引きなるぞや

 

八 せきこみもなにゆへなるとゆうならば つとめのにんぢうほしい事から

   急き込みも何故なると言うならば 勤めの人数欲しい事から

 

九 このつとめなんの事やとをもている よろづたすけのもよふばかりを

   この勤め何の事やと思ている 万助けの模様ばかりを

 

一〇 このたすけいまばかりとハをもうなよ これまつたいのこふきなるぞや

    この助け今ばかりとは思うなよ これ末代の古記(口記)なるぞや

 

 

[~一〇首 説明と要約]


(~一〇)

親神はこれから往還道を敷くように、世界中の人間の心を明るく建て替えていく考えでいる。そうなれば上に立つ者の心も勇んでくる事と思う。そしてその時は直ぐそこまで来ている。
そのためには陽気づとめを勤めてもらう必要があるが、そのつとめは上に立つ者達が勇まなければならない。
親神の守護と言ったものは人間のする事と違い、人間から見れば珍しい事のように映るものである。
ところで神が非常に切羽詰まった想いでいる事を皆は何と思っているのか。皆の中に病と言っている者がいるかもしれないが、その病と言っているものは人間が一般に言う病ではなく全て親神の切羽詰まった想いであり手引きの現れなのである。そして親神が何をそんなに急いでいるのかと言えば、それはつとめを行う人間の数、人衆が欲しいという事である。更にこのつとめとは世界の人間を助けるための土台となるものであり、未来永劫伝えていかなければならないものなのである。

 

 


ここからは解釈が非常に難解に感じられる部分が頻出します。まずここまでの内容の中では、
①「上」とは誰を指すのか?
②「こうき」とは?
この2点があります。

 

 

①について

個人の意見として、「上」は当時教祖の傍にいた人々を指しているのではないかと考えています。しかし公式のおふでさき解説本では「上」という表現について、「世の中の上に立つ人々」「世の中を治める人々」「社会の上層の人々」等といった表現がされています。つまり当時の政治家、官僚、治安機関を含めた役人と言った人々の事を指しているようです。そのように考えた場合、今回対象にしているお歌の一から四の意味は、


「親神はこれから往還道を敷き、世界中の人間の心を明るく建て替えていく考えでおり、その過程で政府、役人と言われている者達の心も勇んでくるであろう。そうなる時期は直ぐそこまで来ている。そして陽気づとめはこの勇んだ心をもった者たちによって成されるのである」


つまりつとめは当時教祖の傍にいた人々ではなく、当時の社会の上層にいた人々によってつとめられる、と解釈が出来てしまうのです。ただこれはこれで正しい解釈と言えなくもないのです。と言うのは当時の時代背景として封建的な雰囲気の強い社会であり、身分の高い地位の人間の言う事は絶対的という考えが強かったと思われます。そのような社会の中で、社会の上層に位置する人々の心を建て替える事が出来れば、一気に世の中が変わると親神様が考えていたとしても不思議ではないのです。
ただしこのように考えた場合、六首目以降の解釈をどうするのかが大きな疑問となってしまいます。六、七首目は、この歌をもってまさに今病にかかっている、当時教祖の傍にいた誰かに語り掛けているように読めるからです。更には先の十一、十二首は当時教祖の傍にいた辻忠作さんに対してのお歌と言われており、このことからもなおの事「上」は当時の社会の上層にいた人々の事ではない、と考えられます。


もうひとつ「上」が教祖の傍にいた人々を指している理由の根拠として考えられるのが、これより5年前に起こった「大和神社の節」です。この件により当時信仰についていた人々の多くが信仰を離れてしまったと言われており、その後もお屋敷への僧侶乱入事件など、当時の教祖周辺にいた人々からしたら心が落ち込むことばかりであった筈です。そのような人々を慰め、励ます意味もあったのではないか、即ち、

「今は世間からの反対もあり容易に参拝も布教も、増してつとめを勤める事など到底出来そうにないであろうが、いずれ、いや、もうすぐそこまで皆が心から勇むことのできる世の中がやってきているのだ」

と言ったように親神様が仰ったのではないか、このように考えています。

 

 

長くなってしまったので②「こうき」については次回に述べたいと思います。

 

 

 

 

 

おふでさき第一号(まとめ)

前回までおふでさき第一号について、私見を含みつつではありますが考察してきました。第一号を大まかに纏めると、


親神様が表にあらわれた理由。


②陽気づくめの世界とは。


③つとめとは? つとめの意義。


④高山布教。


⑤屋敷の掃除。


になるかと思います。特に「⑤屋敷の掃除」については、個人的な解釈として二十一首以降は全てこの事について述べられているのではないかと思います。

 

親神様の想いとしては、つとめによりこの世界を陽気づくめの世界に建て直して行く、そのためにはつとめを勤める人と場所が必要であり、場所についてはこの第一号が執筆された明治2年1月時点では未だ埃に満ちた場所であった、だからそこ(大和のじば、中山家の屋敷内)を一刻も早く清浄な場所に変えたかった、と言ったものではなかったのでしょうか。

この流れを踏まえ次回以降はおふでさき第二号について考察して行きたいと思います。

おふでさき第一号(その4)

前回はおふでさき第一号の二十一~四十四首目までを述べてきました。今回はその続きです。

 

 

四十五 よろづよのせかいぢふうをみハたせバ みちのしだいもいろ〳〵にある

      万世の世界中を見渡せば 道の次第も色々にある

 

 

四十六 このさきハみちにたとえてはなしする どこの事ともさらにゆハんで

      この先は道に例えて話しする 何処の事とも更に言わんで

 

 

四十七 やまさかやいばらぐろふもがけみちも つるぎのなかもとふりぬけたら

      山坂や茨畔も崖路も 剣の中も通り抜けたら

 

 

四十八 まだみへるひのなかもありふちなかも そこをこしたらほそいみちあり

      まだ見える火の中もあり淵なかも そこを越したら細い道あり

 

 

四十九 ほそみちをだん〴〵こせばをふみちや これがたしかなほんみちである

      細道を段々越せば大道や これが確かな本道である

 

 

五十 このはなしほかの事でわないほとに 神一ぢよでこれわが事

      この話他の事ではない程に 神一条でこれ我が事

 

 

[四十五一~五十首 説明と要約]


(四十五~五十)

世界中を見渡してみれば道と言うものは色々にある。ここでは人生を道に例えて話をする。急な山や坂、茨の道、崖道、更には剣の上を歩くような道を通り抜けたら、その先にはまるで炎に包まれたような場所や淵のような深い場所がある。そこを超えるとようやく細い道があり更にそこを進んでいくと大きな道が表れる。これが陽気暮らしへと繋がる本道なのである。
これは他人事ではなく神一筋に進む者全てに対する話しである。

 

 

 

五十一 いまゝでハうちなる事をばかりなり もふこれからハもんくかハるぞ

      今までは内なる事をばかりなり もうこれからは文句変わるぞ

 

 

五十二 よろづよにせかいのところみハたせど あしきのものハさらにないぞや

      万世に世界の所見渡せど 悪しきの者はさらに無いぞや

 

 

五十三 一れつにあしきとゆうてないけれど 一寸のほこりがついたゆへなり

      一列に悪しきと言うて無いけれど 一寸の埃が付いた故なり

 

 

五十四 このさきハ心しづめてしやんせよ あとでこふくハいなきよふにせよ

      この先は心静めて思案せよ 後で後悔無きようにせよ

 

 

五十五 いまゝてハながいどふちふみちすがら よほどたいくつしたであろをな

      今までは長い道中道すがら 余程退屈したであろうな

 

 

五十六 このたびハもふたしかなるまいりしよ みへてきたぞへとくしんをせよ

      この度はもう確かなる参り所 見えて来たぞへ得心をせよ

 

 

五十七 これからハながいどふちふみちすがら といてきかするとくとしやんを

      これからは長い道中道すがら 説いて聞かするとくと思案を

 

 

[五十一一~五十七首 説明と要約]


(五十一五十七)

今までは屋敷の中の話しばかりをしてきたが、これからは世の中、世界の事を話する。
世界中の人間について、悪人と言うものは一人もいない。皆が悪人と言っているのは、その心に一寸埃がついたようなものなのである。
しかしここからは良く心を静めて考えて後で後悔がないようにしてもらいたい。
これまでの長い道、人間が誕生してからこれまでの間には様々な苦労、うんざりする事が沢山あった事だろう。しかしこの度は確かな参拝所、この世界を創造した神のいる場所が出来た。この事を良く心に留めてほしい。そしてこの場所でこれからの人間の進むべき道をしっかりと聞かすからよくよく思案をしてくれ。

 

 

 

 

 

五十八 このさきハうちをおさめるもようふだて 神のほふにハ心せきこむ

      この先は内を治めるもよう立て 神の方には心急き込む

 

 

五十九 だん〴〵と神のゆう事きいてくれ あしきのことハさらにゆハんで

      段々と神の言う事聞いてくれ 悪しきの事はさらに言わんで

 

 

六十 このこ共二ねん三ねんしこもふと ゆうていれども神のてはなれ

      この子供2年3年仕込もうと 言うていれども神の手離れ

 

 

六十一 しやんせよをやがいかほどをもふても 神のてばなれこれハかなハん

      思案せよ親が如何ほど思っても 神の手離れこれは敵わん

 

 

六十二 このよふハあくしまじりであるからに いんねんつける事ハいかんで

      この世は悪事混じりであるからに 因縁付ける事はいかんで

 

 

[五十八一~六十二首 説明と要約]


(五十八六十二)

親神としては屋敷内を治める事に心が急いている。だから親神の言う事は一つ残らず聞いて欲しい、悪い事は決して言わない。
(親神が何を言っているのかと言えば、これはお秀の事である。) お秀を2年3年花嫁修業させて仕込もうと(秀司は)考えているようであるが、それが親神の思惑と異なれば親(秀司先生)はどうする事も出来ないであろう。この世には悪事が蔓延っており、それが元での因縁をつける事はしてはならない。


以前におちゑさんとその子供の音二郎さんの事を述べましたが、それ以前に秀司先生にはおやそさんという方と内縁関係にあり、二人の間にお秀さんという子供がおり、このお歌が読まれた時には既に結婚を考える年齢にまで成長されていたとの事、つまりお屋敷には教祖、こかん様、秀司先生、おちゑさん、音二郎さん、お秀さんの6人が、端から見ると家族のように住まわれていた事になります。ここのお歌はそのような屋敷内の様子を頭に入れておかないと理解が難しい部分です。

 

 

 

六十三 わがみにハもふ五十うやとをもへとも 神のめへにハまださきがある

      我が身にはもう五十やと思えども 神の目にはまだ先がある

 

六十四 ことしより六十ねんハしいかりと 神のほふにハしかとうけやう

      今年より六十年はしっかりと 神の方にはしかと請け合う

 

 

六十五 これからハ心しいかりいれかへよ あくじはろふてハかきによほふ

      これからは心しっかり入れ替えよ 悪事払うて若き女房

 

 

六十六 これとてもむつかしよふにあるけれど 神がでたならもろてくるそや

      これとても難しいようにあるけれど 神が出たなら貰て来るぞや

 

 

六十七 にち〳〵に心つくしたそのゑは あとのしはいをよろづまかせる

      日々に心尽くしたその上は 後の支配を万任せる

 

 

六十八 五人あるなかのにゝんハうちにをけ あと三人ハ神のひきうけ

      五人ある中の二人は内に置け 後の三人は神の引き受け

 

 

六十九 よろづよのせかいの事をみはらして 心しづめてしやんしてみよ

      万世の世界の事を見晴らして 心静めて思案してみよ

 

 

七十 いまゝても神のせかいであるけれど なかだちすハ今がはじめや

      今までも神の世界であるけれど 仲立ちするは今が初めや

 

 

七十一 これからハせかいの人ハをかしがる なんぼハろてもこれが大一

      これからは世界の人は可笑しがる なんぼ笑てもこれが大一

 

 

七十二 せかいにハなに事するとゆうであろ 人のハらいを神がたのしむ

      世界には何事すると言うであろ 人の笑いを神が楽しむ

 

 

七十三 めへ〳〵のをもふ心ハいかんでな 神の心ハみなちがうでな

      銘々の思う心はいかんでな 神の心は皆違うでな

 

 

七十四 せんしよのいんねんよせてしうごふする これハまつだいしかとをさまる

      前生の因縁寄せて守護する これは末代しかと治まる

 

 

[六十三一~七十四首 説明と要約]


(六十三七十四)

(秀司先生自身は)もう50歳かと思うかもしれないが、親神から見ればまだまだ先がある。今年より先60年は親神が保証する。だから心をしっかり入れ替えて悪事を払い若い女房(まつゑさん)をもらうようにせよ。若い女房をもらうなどと言った事は難しいように思うであろうが、親神が働けばもらってくることなど大した事ではない。そして夫婦で日々親神に心を尽くすのであれば屋敷の取り締まりを全て任せたいと思う。
ところで(まつゑさんの実家には5人の子供がいるが)5人のうち2人は小東家に置いて良いが、あとの3人は神の用事に使う。
世の中を見渡して良く考えてみよ。この世界は神の世界であるが、今回のように夫婦の仲立ちをするのは初めての事である。この結婚に対して世の中の人間は可笑しく思う事であろうが、しかしそんな笑いを神は楽しんでいるのである。人間の想いと親神の想いとは違うのでそれは致し方ない事である。親神は夫々の人間の前世因縁について考えた上でお互いに引き寄せており、それによって助けの道を付け、それが末代に渡り治まる道なのである。

 

まつゑさんは親神が人間を創造する際の切る道具である「たいしょく天の命」の魂をもった方とされています。つまり屋敷内には人間創造時に人間を創るための道具衆の魂をもった者だけを住まわし、その人々がかぐらつとめを行う事により世界を助けるという親神様の構想を実現するべく、先のお秀さんやおちゑさん、音二郎さんと言った人間創造に関わっていない人間は屋敷から出さなければならなかった。もう少し突っ込んで考えると、親神様の元々の考えとしては中山家には人間創造時の道具衆だけを集めたかったが、秀司先生のほこり心から次々と関係のない人間を屋敷内に入れる事となってしまい、結果としてこのタイミングでそれらの人々を屋敷から出さなければならなくなった、と言う事なのでしょう。
おふでさきに書かれてある内容を追ってくるとこのような解釈になるかと思います。
しかし個人的にはここでいくつかの疑問が湧いてきます。
①そもそも親神様はなぜ秀司先生とおやそさんやおちゑさんとの間に子供を宿されたのか? これは親神様の働きによるものですよね?
②まつゑさんが何故もっと早くに生まれてこられなかったのか? 秀司先生が早くにまつゑさんと知り合う事が出来ていればこのような事にはなっていなかったのではないか?

このような疑問に答えられる方がいらっしゃればぜひ教えて頂きたいと思います。

 

おふでさき第一号(その3)

前回はおふでさき第一号の九~二十首目までを述べてきました。今回はその続きです。

 

二十一 このよふハりいでせめたるせかいなり 

                 なにかよろづを歌のりでせめ

      この世は理で責めたる世界なり 何か万を歌の理で責め

 

 

二十二 せめるとててざしするでハないほどに 

                 くちでもゆハんふでさきのせめ

      責めるとて手出しするではないほどに 口でも言わん筆先の責め

 

 

二十三 なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらす

      何もかも違わん事は良けれども 違いあるなら歌で知らする

 

 

二十四 しらしたらあらハれでるのハきのどくや いかなやまいも心からとて

      知らしたら現れ出るは気の毒や 如何な病も心からとて

 

 

二十五  やまいとてせかいなみでハないほどに 

                  神のりいふくいまぞあらハす

      病とて世界並みではないほどに 神の立腹今ぞ表す

 

 

二十六 いまゝでも神のゆう事きかんから ぜひなくをもてあらハしたなり

      今までも神の言う事聞かんから 是非なく思て現したなり

 

 

二十七 こらほどの神のざんねんでてるから いしやもくすりもこれハかなハん

      これ()程の神の残念出てるから 医者も薬もこれは敵わん

 

 

二十八 これハかりひとなみやとハをもうなよ なんてもこれハ歌でせめきる

      こればかり人並みやとは思うなよ なんでもこれは歌で責めきる

 

 

二十九 このたびハやしきのそふじすきやかに したゝてみせるこれをみてくれ

      この度は屋敷の掃除すきやかに 仕立てて見せるこれを見てくれ

 

 

三十 そふじさいすきやかしたる事ならハ しりてはなしてはなしするなり

      掃除さいすきやかしたる事ならば 知りて話して話しするなり

 

 

三十一 これまでのざんねんなるハなにの事 あしのちんばが一のさんねん

      これまでの残念なるは何の事 足のちんばが一の残念

 

 

三十二 このあしハやまいとゆうているけれど やまいでハない神のりいふく

      この足は病と言うているけれど 病ではない神の立腹

 

 

三十三 りいふくも一寸の事でハないほどに つもりかさなりゆへの事なり

      立腹も一寸の事では無い程に 積もり重なりゆへの事なり

 

 

三十四 りいふくもなにゆへなるどゆうならハ あくじがのかんゆへの事なり

      立腹も何故なると言うならば 悪事が退かん故の事なり

 

 

三十五 このあくじすきやかのけん事にてハ ふしんのしやまになるとこそしれ

      この悪事すきやか退けん事にては 普請の邪魔になるとこそ知れ

 

 

三十六 このあくじなんぼしぶといものやどて 神がせめきりのけてみせるで

      この悪事なんぼしぶといものやとて 神が責めきり退けて見せるで

 

 

三十七 このあくじすきやかのけた事ならバ あしのちんばもすきやかとなる

      この悪事すきやか退けた事ならば 足のちんばもすきやかとなる

 

 

三十八 あしさいかすきやかなをりしたならバ あとハふしんのもよふハかりを

      足さいかすきやか治りしたならば 後は普請のもようばかりを

 

 

三十九 一寸はなし正月三十日とひをきりて をくるも神の心からとて

      一寸話し正月三十日と日を切りて 送るも神の心からとて

 

 

四十 そバなものなに事するとをもへども さきいなる事をしらんゆへなり

      傍な者何事すると思えども 先なる事を知らん故なり

 

 

四十一 そのひきてみへたるならバそばなもの 神のゆう事なにもちがハん

      その日来て見えたるならば傍な者 神の言う事何も違わん

 

 

四十二 いまゝでハ神のゆう事うたこふて なにもうそやとゆうていたなり

      今までは神の言う事疑ごうて 何も嘘やと言うて居たなり

 

 

四十三 このよふをはじめた神のゆう事に せんに一つもちがう事なし

      この世を初めた神の言う事に 千に一つも違う事なし

 

 

四十四 だん〴〵とみへてきたならとくしんせ いかな心もみなあらハれる

      段々と見えて来たなら得心せ 如何な心も皆表れる

 

 

 

 

[二十一~四十四首 説明と要約]


(二十一~二十二)
この世界は理の世界、即ち神が支配する世界である。その有り様を口ではなく筆、つまり歌で知らせる。

 

 

「理」とは天理教の信仰者が良く口にする言葉ですが、ここでは「神の世界」あるいは「神の力」のような意味合いと考えます。
親神がこの世界と人間を創造する際には、道具衆と呼ばれる者たちを集め親神の思いを伝え納得させ親神と共に創造させたのですが、その際には人間で言うところの「法則」が存在するはずで、それが「理屈」「原理」「物事の道理」、と捉えることができ、これを「理」と考えるのが自然なのではないかと思います。

 

 

 

(二十三~四十四)
人間の心が親神の思いに一致していれば良いが、もし親神の思いに敵わないものであるならそれを歌によって知らせる。しかしそれを病として表に現すことは誠に気の毒に思う。
しかしこれから言う病の話は普通の人間に対する話とは訳が違う。神の立腹がどのような事であるのか、今こそ表す時である。
今までも親神の言う事を聞かなかった事を仕方なく思っていたが、しかしそこには神の残念の思いが表れていたからであり、従ってそこら辺りの医者や薬程度で治るようなことはなかった。この病は歌、即ち親神の思いを徹底的に思い知らせる事で初めて完治するものなのである。
そしてこの屋敷は清浄でなければならない。しかし今は違う。そこで親神の力をもってこの屋敷を清浄な屋敷にしてみせる。その事を良く見ているがよい。清浄な屋敷が整ったならばその後に親神は、世界助けの更なる話しを皆にして行こうと思っている。
ここで親神が残念と言っている事が何か改めて話すと、それは秀司の足の不自由な事である。この足の不自由な事は正に親神の立腹の現れである。しかもそれは一寸の事ではなく積年のものでありなかなか退かない事にある。この「悪事」が退かない事には清浄な屋敷の普請に取り掛かる事が出来ない。だから何としてもどのようなことをしてもこの悪事だけは退かしてみせる。そうすれば足の不自由もすっきり完治し普請に取り掛かることが出来る。
そこで一寸話をするが、1月30日と日を決めて(内縁のお秀と音次郎を実家に送り返す事にする)。これは完全に親神としての思いである。屋敷にいる者たちは、何と神は無慈悲な事をするのだ、と思うかもしれないが、それは先の事が見えていないからであり、その日が来れば皆なるほど、と思うであろう。今までは親神の言う事を嘘だと思っていたであろうが、この世界を初めた親神の言う事は千に一つも違わない。親神の言った事が見えてくれば皆納得する筈である。

 

 

このお歌を理解するにあたって大前提となるのが、当時教祖の長男の秀司先生には内縁の妻であるお秀さんと音二郎という子供がおり、しかも二人ともお屋敷に住んでいた、と言うことです。教祖伝や私が昔読んだ「まんが教祖」にはこの様子は全く描かれてなく、当時のお屋敷を想像する上ではぽっかりと抜け落ちた存在でした。(そもそも秀司先生とお秀さんとどのように知りあい、どのような経緯で屋敷に住まうようになったのかを書いた資料に出会った事がない。)
そしてこの二人をお秀さんの実家に送り返せ、と親神様が仰られている、と言うのです。これは「人を助ける」や「夫婦仲良く」と言った天理教の教えとは相反する事です。「内縁の妻」だったから構わなかった、或いはこのお秀さんと言う方は教祖の教えに反する考え方が強かった人と言われているので、そのような者をいつまでも屋敷に住まわせておく訳にはいかなかった、と言えるかもしれませんが、しかし子供までいる、しかも本人たちからしたら夫婦同然に暮らしていた筈です。教祖は神掛かる以前に、怠け者の作男を看過し人一倍の働き者にした、と言った逸話があります。教祖のそのような働きがあれば、このお秀さんも改心したかもしれません。しかしそれでも親神様はそう仰られた、そればかりかこの事を「悪事」とまで仰られている。つまりは秀司先生の足の不自由な事は、この二人を屋敷に住まわせている事、引いては色恋沙汰そのものが悪事であるとも解釈される、これはどう考えればいいのか。当時の周囲の人々には到底理解できない。しかしそのような人間の考えに対して親神様は四十首以降のお歌で理解を示されようとされています。つまりは

・何が何でも清浄な屋敷を作り上げたい。

・そのためには後に「つとめ人衆」と呼ばれる人々のみによって屋敷を構成し(つまりお秀さん、音二郎さんは端からつとめ人衆とはなり得ない)

・その人間が「おつとめ」を勤める場所を作り

・そしておつとめを勤める事により世界の人間を助ける

・更に言えば秀司先生の悪事の原因である色欲を絶たせ、清浄な心を持ったつとめ人衆に仕立てたい

このような親神の考えの元に実行された事と思われます。

つまり「屋敷」は世界にとってそれだけ重要で特別な場所であり、そこに住まう事の出来る人間は清浄な心で居なければならない、と言えるのかもしれません。

 

 

 

おふでさき第一号(その2)

前回はおふでさき第一号の一~八首目までを述べてきました。今回はその続きです。

 

 

九 だん〴〵と心いさんてくるならバ せかいよのなかところはんじよ

   段々と心勇んで来るならば 世界世の中所繁盛

 

 

十 このさきハかくらづとめのてをつけて みんなそろふてつとめまつなり

   この先は神楽勤めの手をつけて みんな揃て勤め待つなり

 

 

十一 みなそろてはやくつとめをするならバ そばがいさめバ神もいさむる

    皆揃て早く勤めをするならば 傍が勇めば神も勇むる

 

 

十二 いちれつに神の心がいづむなら ものゝりうけかみないつむなり

    一列に神の心がいずむなら 物の立毛が皆いずむなり

 

 

十三 りうけいのいつむ心ハきのとくや いづまんよふとはやくいさめよ

    立毛のいずむ心は気の毒や いずまんようと早く勇めよ

 

 

十四 りうけいがいさみでるよとをもうなら 

                かぐらつとめやてをとりをせよ

   立毛が勇み出るよと思うなら 神楽勤めや手踊りをせよ

 

 

十五 このたびハはやくておどりはじめかけ 

                これがあいずのふしきなるそや

   この度は早く手踊り初めかけ これが合図の不思議なるぞや

 

 

十六 このあいずふしぎとゆうてみへてない 

                そのひきたれバたしかハかるぞ

   この合図不思議と言うて見えてない その日来たれば確か分かるぞ

 

 

十七 そのひきてなにかハかりがついたなら 

                いかなものてもみながかんしん

   その日来て何か分かりがついたなら 如何な者でも皆が感心

 

 

十八 みへてからといてかゝるハせかいなみ 

                みへんさきからといてをくそや

   見えてから説いて掛かるは世界並み 見えん先から説いておくぞや

 

 

[九~十八首 説明と要約]

 

(九~十一)
人間の心が勇めば(神も勇み)それによって世界中が反映に満ちた世の中となる。そのためには神楽勤めを勤める必要がある。人間は早く勤めを行えるようになって欲しい。

(十二~十八)
立毛とは農作物の出来、不出来や経済の好、不況等の事と思われます。従ってここは、
神の心がいずんでしまうと世の中は不況となり、また農作物が不作となってしまう。そのようになってしまうのを見るのは気の毒であるから、早く神楽勤め、手踊りができるようにしてなって欲しい。手踊りを初めるのは正に今である。手踊りを行った後に世の中が今よりも明るい陽気な世の中となれば、誰しもが神楽勤め、手踊りの効能に感心するはずである。このような事は人間である皆には何も見えていない(予見出来ていない)であろうが、それもそのはずでこのように見えていない事を説いているのは、人間を創めた神だからなのである。

 

 

 

十九 このさきハ上たる心たん〳〵と 心しづめてハぶくなるよふ

    この先は上たる心段々と 心静めて和睦なるよう

 

 

二十 このハほくむつかしよふにあるけれと だん〳〵神がしゆこするなり

    この和睦難しいようにあるけれど 段々神が守護するなり

 

[十九~二十首 説明と要約]

 

今は上(社会を取り仕切っている政府等)の人間達は神の教えに対して心良く思っておらず、その考えを改めるようにする事は難しい事のように思われるであろうが、神の働きにより少しずつ神の教え、考えている事を理解できるようにして行く。

 

[補足]

おふでさき第一号が書かれた明治2年(1969年)を遡る事5年前の元治元年(1864年)に、所謂「大和神社の節」が起こります。これにより天理教は初めて当時の行政府から目を付けられる事となりました。これは人間側から見れば厄介な一大事件だったのですが、親神様としては「上」、或いは「高山」と称した当時の世の中を治めている政府等に対する布教の初まりだった訳です。そしてそれらの人々は親神様の教えを理解することは到底できず、それどころか国のあり方を破壊する危険な思想とさえ思っていたことでしょう。「高山」の人々と親神様の教えにはそれ程の乖離があり、しかし親神様としてはそれら「高山」の人々も可愛い我が子であるので、神の力をもって何とか理解が進むようにしてみせる、と仰っているものと理解されます。

 

更にはこのような「高山」の人々に神の考えを理解させるには、先ずは神の傍にいる人々、即ち親神様の社となられた教祖の傍にいる人々へ、神の考えを理解する事、実践する事、そして何より神楽勤め、手踊りの実行を強く促したものと思われます。

 

 

 

 

 

おふでさき第一号

おふでさきはその殆どがひらがなで書かれており、かつ現在は全く用いない仮名づかいが使われているため、読むこと自体が難しく感じられます。そこで原文の次に、小生の解釈で現代文風に漢字を交えて書き換えたものを付け加えました。これにより難しく感じられる「短歌」を少しでも読みやすく感じて頂ければ幸いです。

まず第一号です。第一号には74首のお歌が含まれています。

 

明治年正月

 

 

一 よろつよのせかい一れつみはらせど むねのハかりたものハないから

    よろづよの世界一列見晴らせど 胸の分かりた者はないから

 

 

二 そのはづやといてきかした事ハない なにもしらんがむりでないそや

   その筈や説いて聞かした事は無い 何も知らんが無理でないぞや

 

 

三 このたびハ神がをもていあらハれて なにかいさいをといてきかする

   この度は神が表へ現れて 何か委細を説いて聞かする

 

 

四 このところやまとのしバのかみがたと ゆうていれども元ハしろまい

    この所大和のぢばの神館と 言うていれども元は知ろまい

 

 

五 このもとをくハしくきいた事ならバ いかなものでもみなこいしなる

   この元を詳しく聞いた事ならば 如何な者でも皆恋しなる

 

 

六 きゝたくバたつねくるならゆてきかそ よろづいさいのもとのいんねん

   聞きたくば訪ね来るなら言うて聞かそ 万委細の元の因縁

 

 

七 かみがでてなにかいさいをとくならバ せかい一れつ心いさむる

   神が出て何か委細を説くならば、世界一列心勇むる

 

 

八 いちれつにはやくたすけをいそぐから せかいの心いさめかゝりて

   一列に早く助けを急ぐから 世界の心勇め掛かりて

 

[ 一~八首 説明と要約]

お歌の前に「明治年正月」とありますが、これはおふでさき第一号が書かれた時期を表します。

この間のお歌は「みかぐらうた」のよろづよ八首と一緒です。「みかぐらうた」もまた教祖の口を通して親神、天理王命様が仰られた言葉なのですが、みかぐらうたには曲がついており、その曲に合わせて鳴り物と呼ばれる楽器と共に演奏が行われ、これが所謂おつとめ、と言われる天理教にとっては最も大切な行いの一つとなっています。

ところでこの一首目から八首目の内容についてですが、

一、世界中見渡しても神の思い(胸)を知った者はいない。

二、それもそのはずで、そんな事はこれまで聞かした事がないのであるから無理のない事である。

三、しかしこの度神が表に表れたのであるから、神が直々にこの想いを打ち明けたいと思っている。

四、この場所を「ぢば」と言い神の館と言っているが、何故そのように言うのか、その根本の理由を知っている者はいないであろう。

五、この根本の理由について聞いたならば、どんな者であってもこの場所が恋しくなるはずである。

六、聞きたければこの世の元初まりについての話をいくらでも聞かせたいと思っている。

七、神が直々にこの世元初まりの話をきかせたならば、必ず世界の人間は心が勇むに違いない。

八、神は世界の人間を一人残らず助けたいと思っているのであるから、早く世界の人間の心を勇めに掛かりたいのである。

 

以上のようになるかと思います。

天理教の初まりは天保9年(1838年)10月26日と言われています。この日に当時の大和の国、庄屋敷村の一農婦であった中山みき様(教祖)に親神、天理王命様が天下り親神様が教祖の体をその社と定められました。これが「神が表にあらわれた」事を意味すると言って良いでしょう。親神様は人間にその想いを伝えようとしても口がないので直接人間に語り掛けることは出来ませんでした。しかし人間を創造されるにあたり、その道具として働いてくれた者達との約束によって、天保9年10月に予め表にあらわれる事を言われていたのです。

 

親神様が人間創造を開始してからこの天保9年10月までの間、親神様は表には現れられず、その想いはその時その時において聖人君子と言われる人々によって少しずつ伝えられて行ったと言われています。それがキリスト教であったり仏教であったり、あるいはイスラム教であったり、と言ったことなのでしょう。

 

天理教が「最後(だめ)の教え」と言われる所以はここにあります。何が最後(だめ)なのかと言えば、親神様が人間の親である、と教えている事にあります。

 

つまり予め決められた時(天保9年10月)に、人間を創めた親が直々に人間を創めた場所(大和のぢば)にあらわれて、何故人間をはじめようとしたのかを詳細に語る、この事を聞いたならば、これまで闇雲に生きてきた人間は、その生きる目的を知ることで明るく生きていけるようになる、親(神)としては早く子供である人間たちを勇めたい、これが一から八首の要旨になるかと思います。

 

ちなみに教祖、中山みき様の魂は、親神様が人間を創造されるにあたり、その道具として働いた者達のうち、女雛型であるいざなみのみことです。

 

 

ごあいさつ

当記事にご訪問頂きありがとうございます。白いうさぎです。

 

 

このブログは天理教の教理に関して、白いうさぎがつらつらと私的な意見を交えつつご紹介していく内容となっています。天理教に関心を持って頂くうえで少しでも参考になれば幸いです。

 

まず最初にこのブログでは「おふでさき」について触れたいと思います。おふでさきは天理教教祖である教祖(おやさま)が、親神様(天理王命様)のお言葉を筆に記したもので、その表現は五七五七七の短歌形式となっており、全部で1711首のお歌から成っています。更にそのお歌は17の「号」の纏まりに分かれています。これら「号」の纏まりについてですが、特にテーマ毎に分かれているわけではなく1つの「号」の中で異なる内容の事柄について述べられている事もあり、なぜそのようになっているのかは正直「神のみぞ知る」ところです。

 

次回からはこのおふでさきを1首漏らさずこのブログで公開しつつ、その中身について私見を多分に含みながらではありますが考察して行きたいと思います。