おふでさき第二号(前回の続き)

前回はおふでさき第二号の一~一〇首までに登場する「上」が誰を指すか、について主に述べました。


今回は
②「こうき」とは?
とその他諸々について述べていきたいと思います。


「こうき」についてですが、先ずこれに充てる漢字について、これは二代真柱、中山正善様が執筆された「こふきの研究」において事細かに書かれてあります。結論としては、それまで「古記」と書かれる事が多かったが「口記」と充てる方が良い、との事。ただしこれも、強いて充てるなら、といった意味合いです。「こうき」について調べようと思い「こふきの研究」を一通り読んでみたのですが、小生の頭では読み終わった後に「???」となってしまい、結局よく解らず終いでした。
ですのでおふでさきの原文の筋道を考え、そこからその都度意味を探っていくしかないと考えるに至りました。


そこで今回の部分、即ち一〇首めの「こふき」について触れたいと思います。これは一〇首目前半の「このたすけ」を指し、更に「このたすけ」は「つとめという手段によって世界を陽気づくめの世界へ建て替えていく事」を言っている、と考えれば、「こうき」とは、「つとめという手段が陽気づくめの世界へ建て替える、言い換えれば人間救済に繋がる、と言う事を未来に伝えて行かなければならない」という説明を一言で表していると考えられます。
ものずごくくどい説明になってしまい申し訳ありませんでしたが、兎に角おつとめを勤めることを伝え続けなければならい、と言った意味の捉え方で良いかと思います。

 

ところで前回の一~一〇首までの解釈文の中で三首目の内容を避けているのを気づかれたでしょうか?
これは本当に良く分からなかったのです。と言うのも公式の解説本によれば、「ちやつんで」とはこの第二号が執筆された後の5月頃を指し、その頃は新茶の芽を摘む時期であり、その時期にようきづとめが初められるようになる、或いは、茶葉を摘んだ後に吹く芽のように、といった解釈がされているようですが、たった2か月程度の間にそのように周囲の状況が変わるとはとても考えられず、当時の人々からしたらまさに想像すら出来なかったのではないかと考えます。またその後の「あとかりとりてしもたなら」の部分は、親神様の考えとは反する、それまでの世の中に蔓延っていた陰気な考えを一掃する、と言った意味合いがあるように思われますが、その比喩が何故お茶だったのか、お茶と言う言葉にも何か意味があったのではないか、そう考えると増々理解しにくい部分でした。

 

おふでさきは執筆された当時のお屋敷周辺の状況、社会情勢、人々の生活習慣等が分からないとなかなか理解できない部分が多くあり、今後もこの点に悩まされることになりそうですが、合わせてそれらの事を勉強しながらこのシリーズを続けていきたいと思います。

 

次回は十一首目以降について述べていきたいと思います。